人が人より身分が上であったなら、 きっとそこには優越感がうまれる。
ケニアのお手伝いさんたちは、毎日母からおやつの キャンディをもらっていた。 大人であるお手伝いさんたちはふたつ、 子どものボクはひとつ。
ハッカ飴のスースーしたスリルは、 3歳児のボクにとってはちょっとしたゲームだった。
ボクはもっと食べたかったけれど、二個目は許されない。 でも、お手伝いさんたちは二個ももらってる。
ちょっとしたジェラシーからか、その時は母を逆恨みしたもんだ。
ただ、 雇われの身ではあるけれど、しかし立派な大人であるお手伝いさんたちに 『キャンディをあげる』 という行為はいかがなものか。
単に優越感にひたる自己満足だったんじゃないのかな?って今思う。
まあもちろん、後から内緒でお手伝いさんからキャンディもらってたけどね♪
ていうおやつ話は長い長い前置きです。
ボクが忘れられないキャンディ。 それはシェパードらしき風貌の犬の名前です。
経緯は覚えていないけど、たぶん父がもらってきたんだと思う。 名づけ親は近所のケンちゃん。 近所とはいっても、赤土の道路を車で何分も走らないとたどり着けない、 「近く」に住む数少ない日本人の友達だった。
3歳ながら、年上のケンちゃんの「言いつけ屋」っぷりには 心の底からむかついていたんだけど、 彼が発した「キャンディがいい!」にはなぜか賛成。
いや、もしかしたら反対したけど、ボクのボキャブラリーではそれ以上いい名前が思いつかなかったんだと思う。 (キャンディ以下の語彙力って・・)
とにかく犬の名前はキャンディに決まり、きっとボクは 飛んでいた。
彼女は賢かった(たぶん)。
ボクの命令だけは100%聞かないし、 ボクが走れば全速力で追い越していった。
でもかわいかった。
夜更かしして赤ちゃんが生まれる声を遠くで聞いたり
その赤ちゃんが走行中のキャンディにひかれて死んじゃったり
幼心に「命」が現れたり消えていったりするのを見せてくれた。
帰国のために引越しの準備をする段階くらいで、 もうキャンディはうちにはいなかった。
父の友人に預けていたからである。 大仕事が終わってひと段落した時、久しぶりに (とはいっても一週間ぶりくらいかな) キャンディに会いに行った。
彼女はボクを覚えていてくれて、 ボクはそれをすごく喜んだ。
それからすぐ、日本に帰国した。 日本に着いた時には、ボクは機内でのおねしょで それどころではなかったんだけど、
何年か経って、帰国する時にキャンディを預けたことが 最後の別れであることに気づいた。
ちょっと前に父が仕事で再びケニアに寄った時、キャンディの写真を撮ってきてくれた。
なんか年とったなぁ、でも元気そうだなぁ
少なくともキャンディが生きているうちには、 もう二度とケニアに行く機会はないだろう・・。 そう思っていたから、嬉しかった。 写真とはいえ、まさか再びその姿を見られるとは思わなかった。
しばらくして、キャンディが天寿をまっとうしたと聞いた。 ケニアの思い出として大きなシェアを占めていたものが、 この世からいなくなった・・。
またひとつ、「やってみたいこと」が「できないこと」に 変わってしまった。
そんな、しょっぱいキャンディの思い出でした。 |
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