むかしむかし。

まだチャイルドシートなんてなかったころ。

 

車の助手席に乗って

窓を全開にして、

ゆ〜じろー気分で

外を眺めていたときのこと。

 

 

 

クツが片方だけ落ちていた。

 

 

 

たった一瞬のことだったけど、

その時思った。

 

あのクツの持ち主は

片足でぴょんぴょん

跳んでいなくちゃならない。

 

それか

誰かに片方のクツを

貸してもらわなくちゃならない。

 

でも片方のクツを貸した人は

今度は自分が

片足でぴょんぴょん

跳んでいなくちゃならない。

 

だからまた

誰かに片方のクツを

貸してもらわなくちゃならない。

 

 

そうやって

クツを貸してあげる人たちの

リレーが続いたとして、

 

例えば100人くらいの人が

ずらっと横に一列に並んで、

 

左の人が

それぞれ

自分の右の人に

自分の片方のクツを

貸していったとする。

 

問題は解決するのか?

 

神童3歳児は結論付けた。

 

 

 

「結局は誰かが

片足ぴょんぴょん

しなくちゃあならない!」

 

 

 

もしかしたらこれが

始まりだったのかもしれない。

 


 

自閉症だったかな?

例えば

テレビの上のリモコンや

部屋の片隅のゴミ箱や

本棚のアルバム

などを

「定位置に置かないと気が済まない」

というか

「そうしておきたい」

っていう気質があるのは。

 

「レインマン」という映画を

観たことのある人なら

すぐにわかってもらえると思う。

 

他人から見れば

どうでもいいこと

大したことではないもの

本人にとっては

大事なこと

意味のあること

だったりする。

 

自閉症(?)や

レインマンのレイモンド

に見られる「こだわり」が

良い悪い

とかいう話は

とりあえず置いておいて、

 

実はそんな「こだわり」が

ボクにもいくつか。


 

それは「偶数」。

 

アメ玉をもらいましたとさ。

1個や3個や9個だと何かヤだ。

 

階段を登りましたとさ。

11段や15段だと何かヤだ。

 

まばたきをしましたとさ。

奇数回だと何かヤだ。

 

 

そんな子でした。

 

 

だから

 

アメ玉を

1個食べたらもう1個、

9個食べたらもう1個。

 

階段を

15段登ったら

最後の一段は

もう次の階だから

一段に数えない。(←わかる?)

 

まばたきは

満足のいくまで繰り返す。

 

 

そんな子でした。

 

 

 

だから

 

1個だけ残った柿の種は

そのまま放置。

 

カレーのにんじんが1個残ったら

おかわり。

 

当然「クツが片方だけしかない」なんて

アウト!!!

 

 

 

そうやって「偶数」に

こだわる子でした。


そして

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